英語が話せるようになったことで今では逆に日本語が話せない!?

2011年8月29日
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英語が話せてよかったこと

英語が話せるようになって得したと思うことは、やはり海外旅行であまり不自由を感じないことですね。一つの経験は、1995年にアメリカの大学を卒業して日本に帰るという時に、自分の両親がアメリカ旅行をしたい!と言い出したので、それじゃあと、親を連れてナイアガラの滝からラスベガス、そしてロサンゼルスに旅行しながら日本に帰るという計画をしたんです。
自分で旅行会社に行き、車のレンタルとか予約をしました。ナイアガラの滝でホテルを予約する時、カナダ側からの景色が良いからと、旅行会社の人が気を利かせて、カナダのホテルを予約しようとしてたんですけど、僕は学生ビザしかなく、それがもうすぐ切れるので、アメリカに入るのが難しくなるのは困ると説明しました。やはりこういうのは英語が達者じゃないとできないですよね。
そして、いよいよ両親がアメリカに来ることになり、親は二人とも英語が全く話せないので、僕の住む小さな町に飛ぶ飛行機に乗り換えることはできないので、3時間ほどかけてニューヨーク州のケネディ国際空港まで自分の車で迎えに行きました。
そしていよいよ旅立つ日が来ました。まずはナイアガラの滝へ。車に乗って、予約してもらったモーテル(ホテルより安いホテル)まで行き、チェックインをして、地図を見ながらナイアガラの滝へ行きました。
1月の下旬だったのでメチャクチャ寒かったけど、結構楽しめました。ナイアガラの滝の下の方は完全に凍っていて、普通見れない光景を見たって感じでした。
そういえばナイアガラの滝の近くのレストランで、日本語を話せるおじさんがいたので、「日本語が話せるなら父親でも注文できるかな」と思って、お昼ご飯を買ってきてもらうことにしたら、いつもとは違う値段を払ってるようでした。
「えらい高かったなー」と父親が言ったので、ぼったくられたと思ったんですが、なんかもう面倒くさくなってそのままにしておきました。やはり英語が話せないとちょっと損しますね。
ナイアガラの滝の後は、ラスベガスに行きました。ラスベガスの空港からホテルまで結構近くだったし、市内も歩いて回れる程度だったので、車のレンタルはしませんでした。
市内を歩きながらカジノの中に入っては、お金を入れて遊んだりしましたね。父親が「おおーい、ここに入るぞ! なあココ行ってみようや!」と自分の好きな所に行っては好きなだけ居ました。
それを見ていた母は「よかねーお父さんは。○○君が英語話せるけん、自分の好きな時に起きて、好きな所に行って、好きなことができるね。団体旅行やったらこげなことできんたい」と話していて、それを聞いたときは英語が話せるようになって良かったと思いました。
Airport San Francisco
Airport San Francisco / Yorick_R

ラスベガスでは、道端で見つけた販売店でショーのチケットを買って、食事やショーを十分楽しんで、そのあとはロサンゼルスのディズニーランドに行きました。
ラスベガスの空港に行く時にタクシーに乗ったんですけど、「日本人観光客でこいつらは英語が話せない」とタクシーの運転手に思われると、空港についてからぼったくられるのは嫌だなと思い、空港に着くまでの間、僕は助手席に座って運転手とずっと英語で話してました。
英語が話せない観光客を見るとすぐ騙そうとしてくるので、できる限り英語が上手に話せるんだと思わせるのはいい方法ですよ。そのあと、ロサンゼルスの空港から車を借りて、ディズニーランド近くのモーテルに行きました。でも予約がないっていうんですよ。絶対予約してあるはずなのにと思って理由を聞いてみたら、どうもチェーン店が他にもあり、そちらの方に予約が入っていたようです。
無事にチェックインができ、その後近くのモールみたいなところで、洋服を見に行きました。母親が試着したいというので定員さんにお願いしました。サイズが大きいだの小さいだの、すべて英語で話しましたよ。
日本語が話せる場所とかで買い物すると割高なので、やはり地元のアメリカ人たちが買う場所で買い物ができるというのは得した気分ですね。次の日はディズニーランドに行きました。
自分たちの行きたいアトラクションへ行き、自分たちの好きな所で食べて、十分楽しみました。そういえば、飲み物を買おうとしていた時、僕の前に日本人観光客の男性が2人いて、「コカコーラ・プリーズ」みたいなカタカナ英語を話してたんですけど、金髪の女の人が理解してコカコーラを彼らに渡すと、彼らは「やったー! 英語が通じたー!」と感動していました。
ちょっと微笑ましい感じでしたね。「そうだー、僕もアメリカにきてすぐの頃はあんな感じだったよなー」って。自分もずいぶん成長したもんだなって思ったものです。
そして楽しかった両親との最後のアメリカ旅行も終わり、日本に帰るためにANAのカウンターで手続きをしましたが、そのカウンターは日本人がいて両親が手続きをしたので、僕の出番はありませんでした。
その時「あぁ、ぼくの役目は終わったな」と思ったのを覚えています。日本に帰る飛行機の中で、両親が僕の隣に座っていて、フライトアテンダントの女性が、両親に飲み物を聞いてました。
そして僕の番になり、僕が「Coffee」というと、フライトアテンダントの女性は「Just a moment」と言ってコーヒーを取りに行きました。それを聞いていた母親は「発音が違うけん外国人に思われたんやろ」とビックリしてました。
そして日本に帰ってきてからが大変でした。当然のことながら、日本に帰ってきてから僕の耳に入ってくるものはほとんどが日本語。英語脳になっている僕にとって、日本語を英語に翻訳して理解しようと、脳が働きまくってました。
そして日本語を話そうとしてもうまく言葉が出てこない。特に尊敬語とか謙譲語は最悪でしたね。「見た目は日本人なのに中身はアメリカ人」というのを理解できない人たちからの「貴方日本人なのになんで?」という冷たい目線を感じましたね。
でもこれは、英語を話せるようにはなったものの、今度は日本語を話せなくなって困ったという記事になりますね。(笑)

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